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Note 25      アマチュアアニメに関するコーナーです。
 ( amateur )
TITLE: オリジナルとは、何ぞや?;whatisorigin?
[ BASENOTE with   12 Res ]
Date: 1993/09/03 11:16:34  Author: AAA00104(グーな男        )

		オリジナルな作品とは、一体、何??
.


18:12:20 1993/09/11 [ 12 / 12 ] AAA00091(ねこら )
ムツカシイ話。しかも長い え−、私はオチから話を考えるタイプでして、前回は、 「始めに○−○○−○−ありき」で、そこから逆にたどっていって、 話の筋道を立てていったので、やはり、無理が有るのは承知でして。。。 > 例をあげれば、 > リドリー・スコットの「エイリアン」 > ジェイムズ・キャメロンの「エイリアン2」 > > 同じ主要キャラを擁しながら、まるっきり、別の評価を得ている。 > 「エイリアン2」は、キャラを借りていながらも、 > 一本の作品として、何かしらのオリジナリティを評価されているのだ。 この類の事を、山ほど挙げられるんじゃ無かろうか、と思って、 > 私は、古今東西、あらゆる分野の「作品」を相手には出来ないので、取り合えず、「作品」を> 「ここ数年のアニ研連上映会で発表されたフィルム」に限ります。 と、予め逃げておいたのですが、それでおわってしまっては、後ろ向き。 私も、"議論の為の反論"をしてみようかな。 2人で、同じ絵を模写しても、何かしら違うのは、何故でしょう。 視力が違う、観察力が違う、手先の器用さが違う、道具も違う。 2人のこれらの点が違うのは何故か。 遺伝的資質に、過去の経験、格好良く言うと2人の人生が違うからです。 人生といえば、未だかつてその個人独自の人生を歩まなかった人が 居ないって位ですから、正にオリジナリティ−の塊。 周囲の影響を受ける存在であると同時にオリジナリティ−の塊を背負ってる 人間が作る物である以上、 一から十まで、完璧にオリジナルな「作品」が、有り得ないけれど、 一かけらのオリジナリティ−も無い「作品」も有り得ません。 ここで、 「何故こいつには、オリジナリティ−が少ないのか」−なんて余計な事を 考えると、「オリジナリティ−の多い奴とは異なる、独自の人生を歩んできたから 」 ->「オリジナリティ−が無いのも、またオリジナリティ−」なんて馬鹿な結論に なるので、それはおいといて、本題へ行きます。(「オリジナリティ(独創性)」と、 「個性」をすり替えてるのが、ばれちゃうし) 本題。 で、あらゆる「作品」にはオリジナリティ−が、そこそこある、という前提に立って 、 ここで私が(主にここ数年のアニ研連上映会で上映されたフィルムを対象に) 注目するのは作者の、その作品を作るうえでの姿勢です。 即ち、独創的であらん、としているか。作りたい、と言う自分の内側からの力に 依って作り始めた物なのか。 登場人物がオリジナルであるかどうかがうんぬんと書いたのは、 それが作者の動機を露骨に反映しているからです。 ここに、いまいちオリジナリティ−が少ないどっかで見たような作品が有る、と しましょう。この作品は、一体、どう言うつもりで作られたのか。 既成の作品に創作意欲をかき立てられて、「俺もこんなのを作ってみたい!」と 作ってみたら、やっぱり、似てしまったのか、 既成のキャラが、大好きなんで、 ノ−トへの落書きの延長みたいなつもりで、動かしてみたのか、そのキャラが 最近人気があるってんで、「これのパロディを作れば受けそうだ」と作ったのか。 登場人物が、何かに似てても一応オリジナルであるなら、 おそらく最初の姿勢でしょう。 「作者の姿勢なんか、どうでもいい。問題は、出来た作品の出来ばえだい」って話も あります。ただ見るだけの人の立場からすれば、そんなもんでしょう。 私も、音楽CDを買うときには、作者の姿勢なんか、気にも止めないし、第一、 分かりません しかし、8mmのアマチュアアニメを見るとき、上記の3つの動機のうちでは、 最初のやつが一番偉い!!と思うのが、同じクリエイタ−の端くれとしての、 私の心意気であります。 心意気ですから、「何で偉いのか」なんて聞くのは野暮というもの。 「作り出す動機は、みんなそれぞれ平等で同じくらい尊いものです」なんて事も、 全然思ってません。3つのうちでは、最初のが一番、偉い!!・・そう思いませんか? 一番、「クリエイティブであろう」とする気概が、感じられませんか。 で、エイリアン2。これは商業映画。私にとっては別世界。私はただの客に過ぎず、 受け取る一方ですから、作者の姿勢なんか、どうでもいい、問題は出来ばえだ、と 思ってますけど、それじゃぁ、冒頭と同じなのであえて(身の程知らずにも)姿勢 を うんぬんして見ましょう。 エイリアン2や、その他のパ−ト2物は、一体どういうつもりで作られているのか。 パ−ト1に感銘を受けた監督が、「おれもこんなのを。。。」と思って作り始めたのか ? 何分、別世界の事ですのでこれはあくまで推測に過ぎませんけど、おそらく そうでは無いでしょう(これにもまた、例外はあるでしょうけど)。 あくまで推測にすぎませんが、おそらく(しつこい)、パ−ト1が、ヒットしたんで、 「続編を作れば儲かりそうだ」と、作ったんじゃないでしょうか。 で、監督以下スタッフキャスト一同が優秀だった為に、出来ばえがよかったので、 世間の評価も上々だった、と。 これは、動機からいえば、「今度のコミケに出すエロ漫画のネタは、セ−ラ−ム− ン なら受けそうなんで、これで決まりだ!」ってのと、 基本的に同じなんじゃないでしょうか。あくまで推測にすぎませんけど。 この動機は、私の心意気に照らし合わせるとあまり偉くありません。 更に、調子にのって、恐れ多くも「てんしょう法師」を語っちゃいます。 「反論」の中で語るからには、褒めまくる訳は無いので、予め御勘弁を。 > まして、てんしょう法師は、キャラの個性という点では、 > 元のキャラとは、まったくの別物。 > 僕の作り上げた別人といってもいい。 てんしょう法師に限らずとも、他からキャラを借りた作品には、 良く有る現象でしょう。2頭身で鎧兜に身を固めたガンダム、 チョロQに変形するダグラム、色気違いのセ−ラ−ム−ン、ホモの大空翼。。。 みんな、元とはまったくの別物と言っていいんじゃないですかな。 でも、これらは、オリジナルじゃ、ないですよね。 「てんしょう法師」という作品は、主人公が別に、てんしょう法師でなくとも、 充分笑えます。大体、私からして、未だ本物を知りません。 ですから、元キャラの人気に寄り掛かった作品とは言えないでしょう(てんしょ う 法師には、寄り掛かってないが、宮内洋には寄り掛かってるという話もあるけど。 ) しかるに、何で主人公は「オリジナルの変なおじさん」ではなくて、 既成の漫画のキャラなのでしょう。「オトカワ兄貴の珍妙な大冒険」でも、 面白さは一向に衰えないばかりか、CACCの生んだ最強の人気キャラと 成った物を。 惜しい!! −と、他の場でなら、言うところですが、今回は、そうじゃないんですね 。 と言うのも、キャラを他から借りてきて作られた作品というのは、今回の論理か ら いうと、作り始めた動機からして今一、独創的であろう、としていない事になるか ら 方向がずれてる訳でして、惜しいどころか、かすりもしない、というわけです。 いつの間にか、長い文章になってしまったなぁ。 _______________________________________ ハイレグ姉ちゃんの怪獣退治、という、 かなりオリジナリティの少ない作品をつくってるのでバツグンに説得力が無い ねこら

16:19:40 1993/09/10 [ 11 / 12 ] AAA00008(BRY_FUL )
うむ 難しい話しをしてるなぁ^^; BRY_FUL

14:06:48 1993/09/10 [ 10 / 12 ] AAA00104(グーな男 )
兄貴はさらに考える 「てんしょう法師」や、「極虎さん」についての話は、 兄貴も、おおよそ、ねこらに、同感である。(爆笑) この件についちゃ、みんなから、どんな、反応が返るか、 楽しみで、ちょっと、ひっかけてみたんだよな。 (てんしょう法師や極虎さん以外の話については、本音。 これらの作品を知らない人、ごめんね。) ただ、「ねこら」から、指摘されたという点については、 根拠のない怒りを感じているので、 斉藤ねこら! 今度、兄貴がお仕置きしてやる!! (俺にオリジナリティーがないかどうかは、 そのお仕置きの手法をもって、教えてやろう! くすくす…) さてと、単純に、同感と言うのでは、おもしろくないので、 あえて、“議論のための反論”をしてみよう。 映画では、よく、人気作品のパート2物が作られるが、 そういう場合、監督や脚本家が変わることも多い。 パート2物であるから、登場人物や、舞台が、同じであることが ほとんどであり、いわば、それらは、前作の借り物である。 この場合、パート2物の監督なり、脚本家、あるいは、スタッフの オリジナリティとは、どの程度、存在するんのだろうか? 作品の内容にもよるだろうが、 例をあげれば、 リドリー・スコットの「エイリアン」 ジェイムズ・キャメロンの「エイリアン2」 同じ主要キャラを擁しながら、まるっきり、別の評価を得ている。 「エイリアン2」は、キャラを借りていながらも、 一本の作品として、何かしらのオリジナリティを評価されているのだ。 そこで、ねこらに質問。あるいは、意見のある人に。 この場合、ジム・キャメロンのオリジナリティとは、 エイリアン2のオリジナリティとは、 一体、どこに、存在しているのだ??? さらに質問。 「てんしょう法師」というキャラは確かにデザインは借り物だが、 その意味では、リプリーというキャラを借りた、「エイリアン2」 と同じ。(パート2物ではないけどね。) まして、てんしょう法師は、キャラの個性という点では、 元のキャラとは、まったくの別物。 僕の作り上げた別人といってもいい。 さて、「てんしょう法師」は、それでも、 単なる借り物にすぎないのか否か? (知らない人には、ますます、ごめんね。) ご意見待ってます。(過激な意見も可。) “議論好きな兄貴”こと、グーな男

14:05:56 1993/09/10 [ 9 / 12 ] AAA00104(グーな男 )
TO Neco 今回は、オリジナル論であって、 パロディ論でも、アニ研連論でもないのだな。 ま、どんな意見でもかまわないけどさ。 今日は、ぐーっと眠たい男

16:33:00 1993/09/07 [ 8 / 12 ] AAA00091(ねこら )
御無沙汰 御無沙汰してました、ねこらです。 アンケ−トも、未だ出してませんすんません。 乙川さんが、ベ−スノ−トを作ったとあっては、私も書き込まずば成りますまい。 私は、古今東西、あらゆる分野の「作品」を相手には出来ないので、取り合えず、「作品」を 「ここ数年のアニ研連上映会で発表されたフィルム」に限ります。 何はともあれ、主要な登場人物に既成のキャラをそのまま使っているようでは、「オリジ ナルな作品」とはとても呼べないとおもいます。で、「オリジナルでは無い作品」は、「オリジ ナル作品」に、オリジナリティという点ではかなわない、とも思います。 もろ、表面的な見方だという話も有りますが、んが、しかし、登場人物といえば、作品の顔「 よ−し、今から、オリジナリティ-溢れる作品を作るぜっ」って作者が、いきなり 主人公をそこらの漫画、アニメから借りてくるとは、考えにくいですし、 「このアイデアを表現するには、どうしても既成のあのキャラを借りてくる必要がある んだっ」ってなアイデアは、あんまりオリジナリティ-に溢れて無いんじゃないでしょうか 。 −と言う訳で、結局何がいいたいかというと、 > 僕の作品、 > 「てんしょう法師」や「極虎さん」は、 > オリジナリティあふれる偉大なパロディ作品であると!! 乙川さん、一番オリジナリティにあふれてる(=主人公が、借り物でない)作品、 「○−○○−○−」が抜けてるじゃあないですか。 ____________________________________________________________________________ 後が怖いよ−、ねこら

16:00:28 1993/09/05 [ 7 / 12 ] AAA00041(nmi )
ふうん。 >だから、いわゆる「オリジナル」と呼ばれる作品でも、現実世界や、 >現実の人間関係、現実の科学法則、などをある程度『模倣』しないと、 >作品としては「誰にも理解されない自己満足の産物」と化してしまいます。 は、 >元ネタを知らない人にとってはチンプンカンプン とか >一般には「作品の形を呈していない」 >「観客に対して不親切である」といった受け入れられ方をされたと >しても仕方がないかも知れません。 とかのことを云ったつもりなんですがねぇ・・・。

14:21:58 1993/09/05 [ 6 / 12 ] AAA00012(Neco )
飽くまでも個人的な感想  何だか話が本質からそれているような気がするんですけど、元々 の話はアンケートに「パロディやるな」「パロディはけしからん」 という意見がしばしば見られるという件から派生したんですよね?  これには多分2つの理由があって、ひとつには「独創性がないも のには作品としての質が低級であるから好ましくない」という主張 であり、もうひとつには「オリジナル抜きには成立し得ないものは 観客に対して不親切である」というお願いなんだと思います。  最近のアニ研連上映会の風潮を見ていると、元作品のオマージュ から抜け切れていないパロディ作品が多く、オリジナルを知ってい る人には理解できるし、オリジナルのファンにとっては至極共感で きるんだけど、元ネタを知らない人にとってはチンプンカンプンと いった感じになっていると思います。  この問題は、何から発想を得たかとか無から創造することはでき ないとかいう話で説明づけられるレベルのものではないと思うんで すがいかがでしょう?  ある作品に触発されたり、感化されたりして生まれた作品ならば、 独創性云々といった話になるんでしょうけど、最近見かけるこれら の作品は、元作品の「脚注」に過ぎないように思えます。  「脚注」はそれはそれでそれなりに面白いものですし、翻訳もの の「訳者註」といった付け足しの方が面白かったりすることもあり ますが、脚注は飽くまでも本編あってこそのもので、脚注だけでは 絶対に成立し得ないものですよね。  そんな脚注ごときに独創性云々を論じるのは極めてナンセンスで あり、アンケート回答者が問題としているのはそういったレベルの パロディのことだと思うんですが。  個人的には、単なるオマージュに過ぎないものであっても、作り 手の思い入れの深さが伝わってくるようであれば、それはそれで微 笑ましく感じるのですけど、一般には「作品の形を呈していない」 「観客に対して不親切である」といった受け入れられ方をされたと しても仕方がないかも知れません。  で、こういったパロディレベルのことを一切無視して十把一絡げ にしてしまい、独創性云々を論じるのは、ひとつにはちゃんと独立 して成立しているパロディの立場を陥れることにもなり兼ねないし、 今ひとつには屁理屈を並べ立てただけの逃げ口上に聞こえてしまう という一面もあって、パロディ弁護論としては的を外しているので はないだろうかというのが私の個人的感想です。 -- Neco

18:52:20 1993/09/03 [ 5 / 12 ] AAA00041(nmi )
えっ・・・? > 「てんしょう法師」や「極虎さん」は、 > オリジナリティあふれる偉大なパロディ作品であると!! あれって、パロディだったんですか・・・?(ぉぃ はともかくとして、 > 「人が一人で、思いつき、作り上げた物 こういったものが、存在したとして、それが人々の共感を呼ぶか、は 怪しいところです。 なぜなら、だれかが、ある作品を見るとき、必ず、見る者の 「経験、知識」をあてはめてそれを理解しようとするから。 どんな作品でも、それが見られるときは、「その人の常識」のなかで しか理解されないものです。 だから、いわゆる「オリジナル」と呼ばれる作品でも、現実世界や、 現実の人間関係、現実の科学法則、などをある程度『模倣』しないと、 作品としては「誰にも理解されない自己満足の産物」と化してしまいます。 考えるに、いわゆる「オリジナル」と「パロディ」の違いは、単に 題材をどこから取ったか、というだけに過ぎません。「独創性」は、 その題材の組み合わせ方に現れるもので、これは、素材をどこに取ったか とは、また別問題のような気がします。 この結論は、 > オリジナリティあふれる作品とは、 > 「独自の工夫で仕上げられた作品」であると。 とも共通するところがあると思います。

15:54:28 1993/09/03 [ 4 / 12 ] CUAL0015(11OB )
偉い人もこう言った。らしい。 >  人類が未だに考えた事のない >  ストーリーは存在しない 「誰にも想像できないようなアイデアは、誰にも想像できない。」  なんてことをいったのは、キューブリックでしたっけ?       全然初めましてじゃないけど初めまして。       ここでもよろしくお願いします。兄貴。    11OB

12:38:16 1993/09/03 [ 3 / 12 ] CUAL0001(machan )
兄貴に賛成   結論に異論はあるけど(爆笑) いや、結論も同感ですから安心下さい   人類が未だに考えた事のない   ストーリーは存在しない   ってのは昔から良く聞く事ですしね。   つまらないパロディをずばっと斬る事の出来る視点が歯切れ良いっす。

11:28:24 1993/09/03 [ 2 / 12 ] AAA00104(グーな男 )
兄貴は考えた とりあえず、僕の思ったこと。 「果たして、オリジナルの作品なんて物は、存在するのか?」 パロディが、既存の物に頼って作られた作品ならば、 オリジナルの作品は、 「既存物に頼らない、独創的な作品」 と言えるだろう。 では、独創的とは、一体、何? 「一人で考え、作り上げられた発想」? じゃあ、果たして、 「人が一人で、思いつき、作り上げた物が、この世に、存在するのか?」 兄貴は、思う。「あるはずがない!」と。 人の発想というのは、必ず、生きて覚えてきた「経験、知識」から、 導かれる物だ。 経験や知識は、外部からの影響で、覚えるものだ。 つまり、人の発想とは、必ず、何か、他人や、社会、自然からの影響が 見え隠れするはず。 ゆえに、人の創造力から生まれた物に、 「オリジナルなんて存在しない」のだ。 (オリジナルと呼べるものがあるとすれば、人知の及ばない自然か?) いきなり、極論に至ったが、 この結論は、独創的の意味を厳格に定義しているからだ。 この結論が間違っているとは、思わないが、 これでは、世の中から、「独創的」という言葉が、抹消されてしまう。 では、独創的という言葉の意味をこう考えたい。 「経験や知識を生かし、他の人の思わないような工夫がされた発想」 さすれば、オリジナルの意味も、こう変更される 「経験や知識を生かし、他の人の思わないような工夫がされた発想で  作られたもの。」 だから、僕はこう思うのだ。 オリジナリティあふれる作品とは、 「独自の工夫で仕上げられた作品」であると。 決して、作品の影に、何かの影響が見られようとも、 独自の工夫がなされていれば、その人のオリジナリティは、 評価されるべきであると。 少し、話がずれるが、こう思うと、 パロディがつまらないと言う意見は、 厳密に言えば、その作品が、模倣にすぎないから、 つまらないのではないかな? 受けるパロディというのは、必ず その人の独自の工夫がされているはずだ。 ( パロディばかりで、いやだという意見は、   上映会批判であって、必ずしも、作品批判では、ないはずだしな。) さて、最後に、兄貴は、本音を、言ってしまおう。 僕の作品、 「てんしょう法師」や「極虎さん」は、 オリジナリティあふれる偉大なパロディ作品であると!! 兄貴、違った、グーな男    

11:18:00 1993/09/03 [ 1 / 12 ] AAA00104(グーな男 )
兄貴は考える 以前のベースノートで、「パロディを考える」というコーナーがあったので、 今度は、逆に、 「オリジナルとは、なんぞや?」 と、考えてみないかい? 「既存のものに頼った作品をパロディ、 その対局に位置する作品がオリジナル。」 との見解に立った上での作品論でもいいし、 そんな枠を取り払って、オリジナルという概念の本質に 迫った意見でもいい。 オリジナリティにあふれた作品とは、どんなものか? オリジナルといわれる作品が必ずしも望ましいのか? 僕自身は、「人間の創造力にオリジナルなんてものは、存在しない」 なんてこともおもっているのだが……。 ( 断っておくが…、パロディ物で、名を馳せたからっていう、 ひがみで言ってるんじゃないぜ。) みんなの意見、聞かせてちょ。

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